工場の街は、いま何に変わったのか。尼崎で増えたのは単身と2人世帯だった

2025年、尼崎市に転入してきた人は、転出した人より3,335人多かったそうです。神戸新聞の報道によれば、社会増が3,000人台に乗ったのは1967年以来、58年ぶり。人口そのものも6年ぶりに増え、前年より約500人多くなりました。
ただし、この数字を「街に活気が戻った」と要約してしまうと、実態から少しずれます。同じ報道の中に、増加分の内訳が書かれています。押し上げたのは単身世帯と2人世帯の転入で、増加分の半数超を外国人が占めたとされています。ファミリー層が戻ってきた、という話ではありません。
数字の中身まで読むと、街の見え方が変わります。この記事では、尼崎市の「いまの姿」を、できるだけ都合の良い部分だけを拾わずに書いてみます。人口、地盤、南と北の違い、工場跡地、商店街のシャッター、そして持ち家をどうするかという話まで。長い記事になりますが、この街に長く住んでこられた方ほど、途中で「ああ、あれのことか」と思い当たる箇所があるはずです。
六年ぶりに増えた五百人の、中身を見る
まず人口の話から始めます。ここを曖昧にしたまま先に進むと、あとの話がすべて甘くなるからです。
神戸新聞の報道では、2025年の尼崎市は前年比で約500人の人口増でした。増えたこと自体が6年ぶりです。そして転入超過は3,335人。これが58年ぶりの3,000人台という水準でした。
市はこの要因を「大阪への好アクセス」と「まちのイメージ改善」と分析しています。前者は動かしようのない地理条件で、後者は市が長年かけて取り組んできたことですから、市としてはそう説明したくなる数字でしょう。
ただ、内訳が独特です。増えたのは主に単身世帯と2人世帯の転入で、しかも増加分の半数超が外国人だとされています。これは、子育て世帯が家を買って戻ってきた、という増え方ではありません。賃貸で単身、あるいは二人で暮らす人が、大阪に通いやすい場所として尼崎を選んだ。そう読むほうが素直です。
この違いは、住宅を持っている方にとっては小さくありません。単身・2人世帯の流入は、賃貸市場やワンルーム、コンパクトな住戸への需要にはつながります。一方で、郊外型の戸建てや、部屋数の多い中古マンションへの需要が同じ勢いで増えているとは、この数字からは言えません。増えている、しかし増え方には偏りがある。まずはそこを押さえておきたいと思います。
視野を広げると、兵庫県全体は2025年も転出超過でした。総務省の住民基本台帳人口移動報告によれば、県全体で△2,102人の転出超過です。ただし、前年と比べた転出超過幅の縮小は5,185人で、これは全国で最大の改善幅でした。県としては出ていく人のほうがまだ多い、けれども出方は明らかにゆるんでいる。尼崎の3,335人は、その大きな流れの中でも際立って強い部分だった、という位置づけになります。
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三本の線路が、南北に三つの尼崎をつくった
尼崎市を語るときに、いちばん実用的な地図の読み方があります。鉄道が南北に三層になっている、という見方です。
南から順に、阪神本線が市の南部を、JR東海道本線(JR神戸線)が中央部を、阪急神戸線と伊丹線が北部を、それぞれ東西に走っています。市域を南北に切ると、この三本の線に沿って、街の性格がはっきり変わります。長く住んでいる方なら、説明されるまでもなく体でご存じのはずです。「阪神の方」「JRの方」「阪急の方」で、話に出てくる店も、通う学校も、休日の行き先も違います。
行政上は6つの地区に分かれています。中央(旧尼崎町のあたり、阪神尼崎が中心)、小田(JR尼崎が中心で、工業と物流の色が濃い)、大庄(南西部、こちらも工業)、立花(北中部、市役所があります)、武庫(北西部、武庫之荘の住宅地)、園田(北東部)。この6つを、さきほどの三層に重ねると、街の見取り図がかなり正確になります。
そして、この街の性格を決定づけているのが大阪との距離です。市が公表している交通案内では、所要時間はこうなっています。
| 区間 | 所要時間 |
|---|---|
| JR尼崎 → 大阪 | 約5分 |
| JR尼崎 → 新大阪 | 約10分 |
| JR尼崎 → 三ノ宮 | 約15分 |
| JR尼崎 → 京都(新快速) | 約35分 |
| 阪神大阪梅田 → 阪神尼崎(直通特急) | 約7分 |
| 阪急大阪梅田 → 塚口 | 約13分 |
| 市内 → 伊丹空港 | 約23分 |
※尼崎市公式サイト「交通案内」に掲載の所要時間です。
JR尼崎駅は、JR神戸線・宝塚線・東西線が交わる結節点です。三方向に分岐する駅は、関西でもそう多くありません。阪神尼崎からは近鉄奈良まで直通で約55分。つまり、大阪を挟んで東西どちらにも足が伸びます。
大阪駅まで5分という数字は、感覚として理解しづらいかもしれません。大阪市内で電車に5分乗って行ける範囲を思い浮かべると、尼崎はその圏内にあります。市境をまたいでいるだけで、通勤の体感距離としては大阪市内の一部と変わりません。2025年に単身・2人世帯の転入が増えた理由を、市が「大阪への好アクセス」と説明するのは、この数字を見れば筋が通っています。
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ここからは、地図では見えない話をします。尼崎という街を理解するうえで、いちばん重要な身体感覚かもしれません。
尼崎市域の約3分の1は、海抜ゼロメートル地帯です。つまり、満潮時の海面より土地のほうが低い。堤防がなければ水が入ってくる高さに、街と人が乗っています。
これは自然の地形ではなく、人がつくった地形です。尼崎市立歴史博物館のあまがさきアーカイブズによれば、原因は地下水の汲み上げによる地盤沈下でした。阪神工業地帯の工場が、工業用水として地下水を大量に汲み上げた。その結果、地面そのものが沈んでいったのです。
沈下量の記録が残っています。1935年(昭和10年)の時点で、南部は約1.5メートル、東部・西部は約1.82メートル沈んでいたとされています。1メートル80センチというのは、大人の背丈です。街ひとつが、人の背の高さぶん、地面ごと下がった。
問題が誰の目にも明らかになったのは、1934年の室戸台風でした。3メートルの高潮が街を襲い、被害が出ています。沈んだ土地に高潮が来ればどうなるか、そのときに証明されてしまいました。
対策は長い時間をかけて進みます。防潮堤の完成が1954年。そして1957年から工業用水道の建設が始まり、地下水の利用が制限されました。地面が沈む原因そのものを断つ、という順番です。それでも沈下は1970年前後まで続き、以降は臨海の埋立地の一部を除いて、ほぼ沈静化したとされています。
ここで大事なのは、沈下は止まっているという事実と、沈んだ地面は元に戻っていないという事実が、両方とも成り立っていることです。原因は取り除かれた。しかし高さは戻らない。だから今も市域の3分の1がゼロメートル地帯であり続けています。
南部にお住まいの方が、大雨のたびにポンプや水路のことを気にされるのは、この地形の記憶によるものです。土地が低いということは、水は自然には流れ出ていかない、ということでもあります。排水は機械でやるしかありません。
船が防潮堤を越えるための、小さなパナマ運河
ゼロメートル地帯を守っている防潮堤には、ひとつ困った事情があります。堤防で街を囲ってしまうと、船が出入りできないのです。
尼崎の臨海部には運河が走っています。工場と港をつなぐ水路で、船が通ります。堤防を高くすれば街は守れますが、水の道が断たれてしまう。
その解決策が「尼ロック」です。正式には尼崎閘門(こうもん)といいます。閘門というのは、水位の違う二つの水面を、船が行き来できるようにする仕組みのことです。神戸新聞の記事によれば、これはパナマ運河と同じ方式。船を箱の中に入れ、水を出し入れして水位を合わせ、反対側の扉を開ける。船が階段を上り下りするように、堤防を越えていきます。
同じ記事に、この街の状況を端的に示す数字が出てきます。防潮堤の内側と外側では、普段でも約1メートルの水位差があるというのです。台風のときだけの話ではありません。何でもない日にも、堤防の向こうの水面は、こちら側より1メートル高い。その差を、コンクリートの壁が受け止め続けています。
尼崎に長く住んでいると、この事実は当たり前になっていきます。しかし外から来た人にとっては、かなり驚く話です。「街の外側の水面のほうが高い」という状態が、日常として維持されている。
そして、この構造こそが、尼崎の南部が持っている性格の根っこにあります。工業のために地下水を汲み、地盤が沈み、高潮に襲われ、堤防を築き、閘門をつくり、工業用水道を引いた。産業と防災が同じ一本の線でつながっている街は、そう多くありません。
阪神沿線では、道がふいに細くなる
ここから、南と北の違いを厚めに書きます。尼崎はひとつの市ですが、南と北では街の顔がまったく違います。同じ市民でも、生活圏が重ならないまま何十年も過ごせてしまうくらいには違います。
阪神本線沿い、つまり中央地区や大庄地区のあたりを歩くと、道の幅が一定していないことに気づきます。広い通りから一本入ると、急に細くなる。車がすれ違えない路地があり、その両側に家が並んでいます。区画がきれいに揃っていないのは、この一帯が計画的につくられた住宅地ではなく、工業と生活が同時進行で積み重なってできた街だからです。
中央地区は旧尼崎町を含む、この街のいちばん古い中心部です。阪神尼崎駅を核に、商店街が広がっています。大庄地区は南西部で、こちらは工業の色が濃い地区です。小田地区はJR尼崎が中心で、工業と物流。南側の三つの地区は、性格が近い部分を持っています。
この一帯の住宅には、共通した特徴があります。敷地が小さく、間口が狭く、建物が古い。そして道が細い。これは不動産の話にそのまま接続します。前面道路の幅が足りない土地や、道路に接していない土地(無接道敷地といいます。原則として建物を建て替えられません)が、南部には一定量あります。市が空き家対策のメニューに「老朽借家・無接道敷地の除却補助」を用意しているのは、そうした敷地が現実に存在するからです。
ただし、この一帯には北部にはない強みもあります。阪神大阪梅田まで直通特急で約7分。近鉄直通で奈良まで約55分。そして駅前にすべてが揃っている密度です。買い物も、通院も、役所の用事も、歩いて済ませられる範囲に収まっています。車を手放したあとの生活を考えたとき、この密度は数字に出にくい価値です。
南部を「古い街」とだけ表現するのは正確ではありません。密度が高く、歩いて完結し、地面が低い街。この三つが同時に成り立っているのが、阪神沿線の尼崎です。
北へ行くほど、街の音が減る
同じ市の中で、阪急神戸線のあたりまで北上すると、景色が入れ替わります。
武庫地区は北西部にあり、武庫之荘の住宅地を含みます。園田地区は北東部。立花地区は北中部で、市役所が置かれています。この北側の三地区は、南部とは成り立ちが違います。工場に付随して広がった街ではなく、住むための街として整えられてきた区域です。
武庫之荘のあたりを歩くと、区画が整い、道路の幅がそろい、街路樹があり、戸建てが並んでいます。南部の路地を歩いたあとに来ると、同じ市とは思えないほど静かです。マンションも建っていますが、街全体の骨格は住宅地のそれです。
阪急大阪梅田から塚口まで約13分。通勤の便でいえば南部と大きく変わりませんが、街の質感はまったく別物です。「尼崎に住んでいます」と言ったときに相手が思い浮かべる街と、実際に住んでいる街が食い違いやすいのが、この北側の地区です。武庫之荘に住んでいる方が、外の人から「尼崎は治安がねえ」と言われて微妙な顔をする、という場面は、この街ではよくある光景でしょう。
地盤の面でも南北は違います。海抜ゼロメートル地帯は市域の約3分の1で、地盤沈下の記録に出てくるのは南部・東部・西部です。北へ行くほど、水に対する条件は変わってきます。同じ市の中で、災害リスクの手触りが地区によって違うということは、住まいを考えるうえで無視できません。
ひとつ、正直に書いておきたいことがあります。北部の住宅地は、南部より街としての完成度が高い一方で、すでに完成しているぶん、大きく変わる余地も少ないのです。南部にはキリンビール工場跡やパナソニックの工場跡のような、街をまるごと組み替えるだけの土地が出てきましたが、整った住宅地からは、そういう土地は出てきません。良くも悪くも、いまの姿が続きます。
ビール工場の跡地に、駅前がまるごと一つできた
JR尼崎駅の北側に立って、この街並みがいつからあるものかを考えてみてください。答えは、そう古くありません。
ここにはキリンビールの尼崎工場がありました。1996年に操業を停止しています。工場が閉じたあとの広大な跡地に対して、市は「あまがさき緑遊新都心」という計画を立てました。そして2009年にCOCOE(ココエ)が開業し、2013年にあまがさきキューズモールへ改称されています。
つまり、いまJR尼崎駅北で見えている街並みは、工場跡地の転用そのものです。道路の線形も、区画の大きさも、商業施設の配置も、もとが一つの工場敷地だったことに規定されています。あれだけまとまった土地が駅前に出ることは、通常はありません。工場が閉じたからこそ、駅前を一からつくり直せた。
この転用は、尼崎という街の性格をよく表しています。この街には、街を組み替えるだけの面積が、繰り返し出てくるのです。住宅地では土地は小さくしか出てきませんが、工場が閉じれば、駅前が丸ごと一つ更新できます。
そして工場が閉じるということは、そこで働いていた人がいなくなるということでもあります。1996年の操業停止から2009年の開業まで、13年かかっています。跡地が街になるまでには、それだけの時間が必要でした。いま更地になっている場所が次に何になるのかも、同じくらいの時間をかけて決まっていくのだと思います。
プラズマテレビをつくっていた建物は、いま荷物を積み替えている
工場跡地の話をもう一つ続けます。こちらのほうが、尼崎の現在をより正確に映しています。
パナソニックのPDP尼崎第3工場。プラズマディスプレイパネルをつくっていた巨大な工場です。日本経済新聞の報道によれば、この施設はESRが取得し、延床面積約39万平方メートルの国内最大級の物流施設に転用されました。
延床39万平方メートルという規模は、感覚的につかみにくい数字です。さきほどのキューズモールを含む商業エリアと比べても、単体の建物としてはけた違いの大きさになります。それがひとつの物流施設です。
この転用が象徴しているのは、「工場の街」から「物流の街」への転換です。同じ場所に、同じくらい大きな建物が建ち続けている。しかし中でやっていることが違います。かつては素材を運び込んで製品にして出していた。いまは、できあがった製品を運び込んで、仕分けて、また出していく。
働き方も変わります。製造ラインの雇用と、物流拠点の雇用は、必要とする人数も、勤務時間帯も、通勤の形も違います。夜間や早朝の稼働が増え、大型車の交通が増える。街に落ちるお金の性質も変わります。
ただし、尼崎から工場が消えたわけではありません。ここは正確に書きます。1889年の尼崎紡績(現在のユニチカ)以来、この街は阪神工業地帯の中核であり続けてきました。そして現在も、日本製鉄関西製鉄所、クボタ阪神工場、AGC(尼崎は同社の創業地です)、関西電力の実験センターが操業しています。
さらに、本社を置いている企業もあります。ユニチカ、タクマ、レンゴー、日本スピンドル製造。工場だけの街ではなく、意思決定機能がある街でもあります。
つまり尼崎の産業は、「衰退した」でも「再生した」でもありません。一部は残り、一部は物流に置き換わり、一部は駅前商業になった。三つが同時に進行しています。単純な再生ストーリーとして読むと、実態を見誤ります。
犯罪は十年あまりで六割減った。イメージは、遅れてついてくる
この街について書くとき、避けて通れない話題があります。治安のイメージです。
市が公表している数字を、そのまま置きます。刑法犯の認知件数は、ピークだった2012年に10,184件。それが2021年には3,837件まで減っています。約62%の減少です。13年間で見ると約52%減とされています。
1万件が4千件を切るところまで下がる、というのは相当な変化です。この間に街で何が起きたのかは一言では言えませんが、少なくとも数字の上で、尼崎は10年あまりで別の街になったといえる幅の変化をしています。
ただし、ここも正直に書きます。コロナ後の人流回復にともなって、近年は増加傾向にあります。市の資料でも、そのことは示されています。水準としてはピークよりはるかに低いものの、下げ止まって上向いている、というのが現在の状態です。「減り続けている」と書くのは、いまとなっては不正確です。
そして、もっと厄介な問題があります。数字が変わっても、イメージはすぐには変わらないということです。10年前の印象を持ったまま、この街を語る人は今も多くいます。テレビや漫画でつくられた尼崎像は、実際の統計より寿命が長い。
住んでいる人には、このずれが実感としてあるはずです。日々の生活で不安を覚える場面はほとんどないのに、外の人からは「大丈夫なの」と聞かれる。この差が、街の評価という点では厄介に働きます。次の章で見るように、市の調査にもそれがはっきり出ています。
「良くなった」が六割強。ただし市外の目は、逆を向いている
尼崎市は「あまらぶ大作戦」というシティプロモーションを続けてきました。その成果指標が公表されています。令和6年度の数字です。
「まちのイメージが良くなった」と答えた人が61.7%。「悪くなった」は3.4%。この二つだけを見れば、順調に見えます。良くなったが6割を超え、悪くなったは3%台。
しかし、同じ資料にはもう一組の数字があります。地域推奨意欲、つまり「この街を人に薦めたいか」という指標です。市内では7.0ポイント増。ところが市外では5.5ポイント減となっています。
これは、素直に読めば厳しい数字です。中に住んでいる人の評価は上がり、外から見ている人の評価は下がっている。方向が逆を向いています。
この乖離が意味するところは、いくつか考えられます。住んでみて初めて分かる良さがあり、それは住んでいる人にしか届いていない。あるいは、街の外に向けた発信が、住民に向けた発信ほどには効いていない。いずれにせよ、「イメージが改善して人が集まってきた」という単純な物語は、この数字とはうまく噛み合いません。
にもかかわらず、2025年には3,335人の転入超過がありました。イメージが良くなったから来た、というより、大阪に5分で出られて家賃が見合う場所を探した結果、たまたまここだった。そういう選ばれ方をしている割合が、相当あるように見えます。市が挙げた二つの要因のうち、実際に効いているのは「大阪への好アクセス」のほうが大きいのではないか、と読むこともできます。
住まいを売る側の立場で考えると、この点は無視できません。市外の人からの評価が下がっているということは、市外から来る買い手の目が、必ずしも追い風ではないということです。一方で、市内で住み替える人の評価は上がっています。買い手がどこから来るかによって、街の見え方が違うのだと思います。
駅前の公園から、囲いが外された
2025年3月29日、阪神尼崎駅前の中央公園がリニューアルオープンしました。
この整備は、関西で初めて「都市公園リノベーション協定制度」を活用した事例とされています。市、阪神電気鉄道、阪急阪神不動産による官民連携の事業です。行政が公園をつくって管理する、という従来の形ではなく、民間が施設を整備し運営する枠組みが組まれています。
できたものは、芝生広場、デッキテラス、カフェ2店舗。芝生広場については、オープンから少し遅れて6月1日から利用開始となりました。
この整備で注目したいのは、既存の樹木・石材・レンガを再利用している点です。全部を壊して新しくつくり替えたのではありません。もとの公園にあったものを残し、使い直しています。長くこの公園を見てきた方には、以前の面影がどこに残っているか分かるはずです。
駅前の公園というのは、その街がいまどういう時間を過ごしているかが、いちばん分かりやすく出る場所です。人が座れるようになっているか、腰を下ろして何をしているか、夕方に誰がいるか。芝生とデッキテラスとカフェという組み合わせは、「通過する場所」から「滞在する場所」への変更を意図したものでしょう。
ひとつ、偶然にしては出来すぎた符合があります。尼崎城が一般公開されたのは2019年3月29日、そして中央公園のリニューアルオープンが2025年3月29日。6年違いの同じ日です。阪神尼崎の周辺は、この6年でかなり手が入ったことになります。
二キロのアーケードに、六百の店と、閉じたシャッター
公園の話のすぐあとに、この話を置きます。同じ街の、同じ時期の姿だからです。
尼崎中央・三和・出屋敷の商店街は、東西南北で延べ約2キロメートルのアーケードに、約600店舗が並ぶ規模を持っています。関西でも屈指の長さです。三和本通・新三和のあたりは、終戦直後の闇市がルーツとされています。
2キロのアーケードというのは、端から端まで歩くだけで相当な時間がかかります。600店舗という数字も、商店街としては大きい部類です。この規模のアーケードが、大阪から7分の駅の目の前にある。それ自体が、この街の歴史の厚みです。
そして、課題も市が明確にしています。人口減、後継者難、大型店の進出によるシャッター化です。歩けば分かります。開いている店と閉じているシャッターが、まだらに並んでいます。
この問題は、単に「昔ながらの商店街が寂れた」という一般論ではありません。後継者難という言葉には、具体的な中身があります。店を持っている方が高齢になり、子どもは別の仕事に就いていて、店舗兼住宅の建物をどうするかという判断が、家族の中で保留されている。そういう状態の物件が、アーケードの下に相当数あるということです。
店舗兼住宅は、住宅としても店舗としても中途半端になりやすく、扱いが難しい不動産です。間口が狭く、奥に深い。1階が店で2階3階が住居。この形は、営業をやめた瞬間に使いにくい建物になります。商店街のシャッターの多くは、そういう建物の入り口です。
駅前の公園が芝生になり、カフェが入り、人が滞在するようになる。同じ駅の別の方向では、2キロのアーケードでシャッターが増えていく。どちらも2020年代半ばの尼崎の、本当の姿です。片方だけを見て街を評価すると、判断を間違えます。
給食費が消える年に、体育館へ空調が入る
ここから、暮らしまわりの話に移ります。子育て世帯向けの施策が続きますが、持ち家を持つ50代60代の方にとっても、これは他人事ではありません。街に若い世帯が入ってくるかどうかは、その街の住宅の売れ行きに直結するからです。
まず給食です。尼崎市は2026年度から、小学校給食を実質無償化します。保護者の負担は0円になります。中学校は半額補助で、1食181円です。
ただし、給食費そのものは物価高を受けて改定されています。小学校は272円から312円へ、中学校は310円から362円へ。値上がりしたうえで、小学校はその全額を市が持つ形です。「無償化」という言葉だけで済ませず、単価が上がっていることも併せて見ておくのが正確です。
中学校給食については、全17校でセンター方式の完全給食を実施しており、2献立制です。対象は9,120人(令和8年5月1日現在)。中学生に給食があるかどうかは、関西では自治体によって差がある部分ですが、尼崎は全校で実施しています。
市の2026年度当初予算案も出ています。神戸新聞の報道によれば、重点5項目で65の新規・拡充事業、総額37億3千万円。具体的に挙がっているのは、小学校体育館の空調整備、都市公園の刷新、児童相談所の開設、託児機能付きコワーキングスペースの整備です。
この4つの並びは、なかなか示唆的です。体育館の空調は、夏の暑さと避難所機能の両方に関わります。都市公園の刷新は、中央公園の続きということでしょう。児童相談所の開設は、市が自前で子どもの相談機能を持つということです。託児機能付きコワーキングは、働き方が変わったことを前提にした施設です。
医療についても書いておきます。兵庫県立尼崎総合医療センターが2015年7月に開院しています。730床、30を超える診療科。県立尼崎病院と県立塚口病院を統合し、旧市立尼崎産業高校の跡地に建設されました。救命救急センターに加え、県内2カ所しかない小児救命救急センターを持ち、全国初の「小児ドクターカー」を運用しています。
ここでも、跡地の転用が出てきます。高校の跡地に、県内有数の規模の病院が建った。工場跡が商業施設や物流施設になり、高校跡が病院になり、大学跡が子どもの施設になる。この街は、閉じた施設の跡地を次の用途に回すことで更新されてきた、という共通のパターンが見えてきます。
閉校した大学の校舎と、工場跡地の森
跡地の話を、もう二つ続けます。どちらも、この街が何を選んだかがよく分かる事例です。
ひとつめは「あまがさき・ひと咲きプラザ」です。2019年10月開設。2015年に閉校した旧聖トマス大学の跡地を、市が取得して転用しました。
大学が閉じた跡地というのは、扱いに困る不動産の代表格です。広い。建物が特殊。住宅にも商業にも簡単には転用できない。多くの場合、更地にして分譲されるか、長く塩漬けになります。
尼崎市はそこに、子どもの育ち支援センター「いくしあ」、ユース交流センター「あまぽーと」、学習施設「アマブラリ」を置きました。あまぽーとには防音スタジオと180人収容のホールがあります。アマブラリは約1万冊の蔵書と80席の学習室を備えています。
この構成が面白いのは、ほとんどが「中高生が自分の意思で行ける場所」だという点です。防音スタジオでバンドの練習ができる。80席の学習室で勉強できる。1万冊の本がある。大学の校舎という、もともと若い人が使っていた建物の性格を、そのまま引き継いでいます。更地にして売らなかった判断が、ここに出ています。
大学といえば、もうひとつ変化がありました。園田学園女子大学が2025年4月から「園田学園大学」に校名を変更し、順次共学化しています。長く女子大として市内にあった大学が、名前を変えて男女を受け入れる形になりました。
ふたつめは尼崎の森中央緑地です。兵庫県立で、臨海部の工場跡地に、市民参加でつくられている森です。「自然共生サイト」にも認定されています。
臨海部の工場跡地というのは、この街でいちばん人工的な場所です。埋め立てて、工場を建てて、地下水を汲み上げて、地盤が沈んだ土地です。そこに森をつくる。しかも造園業者が完成品を納めるのではなく、市民が参加して育てていく形をとっています。
森は、つくった瞬間には森になりません。何十年もかけて育つものです。工場跡に森を植えるという選択は、この街がその時間の長さを引き受けたということでもあります。
城は建った。使い方は、これから決まる
尼崎城については、姉妹編の歴史記事で詳しく書きましたので、ここでは深追いしません。ただ、いまの街の中でどう位置づけられているかだけ、触れておきます。
この城は、1617年に戸田氏鉄が築いたもので、1873年の廃城令で取り壊されました。約250年のあいだに、戸田・青山・松平の3家から12名の城主が入っています。
現在建っている城は、再建されたものです。旧ミドリ電化の創業者である安保詮氏が2015年11月に寄附の意向を表明し、2018年11月30日に竣工、2019年3月29日から一般公開されています。個人の寄附によって天守が建ち、市に引き渡された、という経緯です。
城が建ってから、まだ数年です。街のシンボルとして定着するかどうかは、この先の使い方で決まります。歴史的な建造物としてではなく、いまの街の設備として、どう機能させるか。中央公園のリニューアルと合わせて、阪神尼崎の周辺は「行く理由がある場所」をつくろうとしているように見えます。
お祭りの話も添えておきます。貴布禰神社は尼崎の総氏神とされ、夏祭りにはだんじりが出ます。この街の年間行事のうち、いちばん人が動く日のひとつです。城やモールのような新しい施設と、神社の祭りのような古い行事が、同じ地区の中に共存しています。
川の話も一つ。庄下川は水質が改善し、「魚の住める川」になりました。2000年度に建設大臣賞「蘇る水100選」を受賞しています。工業で汚れた川がきれいになるまでには、やはり長い時間がかかっています。地盤沈下が止まるまでにも、川がきれいになるまでにも、この街は数十年単位の時間を使ってきました。
三年で六億円は、誰に向けられたお金なのか
ここから、家をどうするかという話に近づいていきます。まず、市がいま何をしようとしているかを見てください。
尼崎市は、子育て世帯の定住・転入に向けた住宅施策のパッケージを公表しています。3年間で6億円という規模です。中身は5本立てになっています。
- 住宅取得支援:兵庫県との連携による、県外からの賃貸住替え支援。および、良質な戸建住宅の取得支援。
- 一定規模以上の土地利用時の良質住宅誘導協議:まとまった土地が開発されるとき、市が事業者と協議して住宅の質を誘導する枠組み。
- 市営住宅への子育て世帯の入居促進。
- 市営住宅建替えで生じた余剰地の活用。
- 空き家対策:相談窓口、相続登記への専門家活用、建物状況調査、戸建の賃貸化支援。
この5本を並べて眺めると、市の意図がかなりはっきり見えてきます。市は、子育て世帯に「戸建てを持って住んでほしい」と考えているということです。良質な戸建の取得支援があり、大きな土地が動くときには住宅の質を誘導し、市営住宅にも子育て世帯を入れる。
そして、この意図と、2025年の人口動向の実態には、ずれがあります。実際に増えたのは単身・2人世帯で、その半数超が外国人でした。市が来てほしいと言っている層と、実際に来ている層が、完全には一致していません。3年6億円という予算は、その差を埋めようとするお金だと読むこともできます。
持ち家を持っている方にとって、この施策が意味することは何でしょうか。市は、既存の戸建てのストックを、次の世代に引き継がせようとしています。「良質な戸建取得支援」「戸建の賃貸化支援」「建物状況調査」といったメニューは、いずれも新築ではなく既存住宅を前提としたものです。空き家にしてしまう前に、次の使い手に渡してほしい。そういうメッセージが読み取れます。
空き家を、三つの方向から動かそうとしている
空き家対策については、市がもう少し詳しい枠組みを公表しています。三つの方向で整理されています。
ひとつめは「増加抑制」。空き家になる前に手を打つ、という考え方です。相続登記の支援や、専門家への相談窓口がここに入ります。名義が整理されないまま親の家が残る、というのが空き家化のいちばん多い入り口ですから、ここを押さえるのは理にかなっています。
ふたつめは「利活用促進」。空き家バンク、若年・新婚世帯向けのリノベーション補助、戸建の賃貸化支援などです。売る以外の選択肢を用意する、という発想です。
みっつめは「除却支援」。老朽借家や無接道敷地の除却補助がここに入ります。無接道敷地というのは、建築基準法上の道路に接していない土地のことで、原則として建物を建て替えられません。南部の古い密集地には、こうした敷地が現実に存在します。
この三本立ては、尼崎の住宅ストックの実情をよく反映しています。使える家は使ってもらい、使えない建物は減らす。すべてを再生させようとはしていません。除却支援を正面から掲げている点は、むしろ誠実だと思います。
ご自身の家がどの方向に当てはまるのか、一度考えてみる価値はあります。北部の整った住宅地にある戸建てなら、「利活用促進」の側にあるでしょう。南部の路地の奥にある、間口が狭く道路付けの弱い家なら、「除却支援」の側に近いかもしれません。同じ市内でも、置かれている状況はかなり違います。
持ち続けるか、手放すか。この街で材料になるもの
ここまで、尼崎の現在をひととおり見てきました。最後に、この街の姿が「家を持ち続けるか、手放すか」という判断にどう関わるのかを整理します。答えは出しません。材料を並べるだけです。
ひとつめ。需要はある。ただし形が偏っています。2025年に3,335人の転入超過があったのは事実です。しかし増えたのは単身・2人世帯で、半数超が外国人でした。この流入は、賃貸やコンパクトな住戸の需要にはつながりますが、部屋数の多い戸建てや大型のマンションの需要と直接は結びつきません。ご自宅がどちらの層に向く物件なのかで、話が変わります。
ふたつめ。街の評価は、内と外で逆を向いています。市の調査では、市内の推奨意欲は7.0ポイント増、市外は5.5ポイント減でした。市内で住み替える方が買い手になる場合と、市外から来る方が買い手になる場合とで、この街の評価は同じではないということです。
みっつめ。南と北で、条件がまるで違います。阪神沿線の南部は、大阪梅田まで約7分、歩いて生活が完結する密度がある一方、道が細く敷地が小さく、市域の約3分の1を占めるゼロメートル地帯にかかります。阪急沿線の北部は、区画が整い、住宅地として完成している一方、街が大きく変わる余地は少ない。同じ「尼崎市の戸建て」でも、中身は別物です。
よっつめ。この街には、まとまった土地が繰り返し出てきます。キリンビールの工場跡が駅前になり、パナソニックの工場跡が延床39万平方メートルの物流施設になり、高校跡が730床の病院になり、大学跡が子どもの施設になりました。街の形は、これからも変わり続ける可能性が高い。それは自宅の周辺環境も変わりうる、ということでもあります。
いつつめ。市の施策には向きがあります。3年6億円の住宅施策は、子育て世帯に良質な戸建てを持ってもらうことを狙っています。空き家対策には「利活用促進」と並んで「除却支援」があります。市は、すべての建物を残す前提には立っていません。
これらを踏まえて、何を考えるとよいでしょうか。私たちは、次の三点をお勧めしています。
ご自宅が、どの層に向く物件なのかを見ておくこと。単身・2人世帯が増えている街で、4LDKの戸建てが誰に向くのか。逆に、駅近のコンパクトな住戸であれば、いまの流入層と噛み合います。
建て替えができる土地かどうかを、確認しておくこと。前面道路の幅、道路への接し方。ここが弱い土地は、売るときにも建て替えるときにも制約を受けます。市が無接道敷地の除却補助を用意しているのは、そういう土地が実在するからです。ご自宅がそれに該当するかどうかは、早めに知っておいて損のない情報です。
判断を、名義が複雑になる前に済ませておくこと。市が相続登記の支援を空き家対策の入り口に置いているのは、名義が整理されないまま放置された家が、いちばん動かしにくくなるからです。売る売らないの判断より先に、権利関係を確認しておくほうが、選択肢は広く残ります。
尼崎は、工場の街から何か一つのものに変わった街ではありません。一部は工場のまま残り、一部は物流に置き換わり、一部は商業と住宅になった。その途中に、ゼロメートル地帯があり、2キロのアーケードがあり、6年ぶりの人口増があり、市外からの評価の下落があります。良い面と悪い面が、同じ場所に並んで存在しています。
家を持ち続けるか手放すかは、街の状況だけで決まるものではありません。ご家族の事情、ご自身の年齢、これからの暮らし方。そちらのほうが、はるかに大きな要素です。ただ、街の状況を正確に知っておくことは、その判断の土台になります。決めるのはご本人です。私たちにできるのは、判断の材料を、都合よく加工せずにお渡しすることだと考えています。
よくある質問
尼崎市の人口は、増えているのですか。
2025年は6年ぶりに増えました。神戸新聞の報道によれば、前年比で約500人の増加、転入超過は3,335人で、社会増が3,000人台になったのは1967年以来58年ぶりです。ただし内訳を見ると、押し上げたのは単身世帯と2人世帯の転入で、増加分の半数超を外国人が占めています。市は要因を「大阪への好アクセス」と「まちのイメージ改善」と分析しています。子育て世帯が大量に戻ってきた、という増え方ではない点は、正確に押さえておいたほうがよいと思います。なお兵庫県全体では2025年も△2,102人の転出超過ですが、前年からの転出超過幅の縮小は5,185人で全国最大でした。
尼崎市の治安は、実際のところどうなのですか。
市が公表している刑法犯認知件数は、ピークの2012年が10,184件、2021年が3,837件で、約62%減っています。13年間で見ると約52%減です。ただし、コロナ後の人流回復にともなって近年は増加傾向にあります。水準としてはピークより大幅に低いものの、下げ止まって上向いている、というのが現状です。市のシティプロモーション「あまらぶ大作戦」の令和6年度の指標では「まちのイメージが良くなった」が61.7%、「悪くなった」が3.4%でした。一方で、地域推奨意欲は市内で7.0ポイント増えたのに対し、市外では5.5ポイント減っています。中の評価と外の評価が逆方向に動いている点は、そのまま受け止めるべき数字だと思います。
海抜ゼロメートル地帯というのは、市内のどのあたりですか。
尼崎市立歴史博物館のあまがさきアーカイブズによれば、市域の約3分の1が海抜ゼロメートル地帯です。原因は自然の地形ではなく、工業用水として地下水を大量に汲み上げたことによる地盤沈下でした。1935年の時点で、南部が約1.5メートル、東部・西部が約1.82メートル沈下していたと記録されています。1934年の室戸台風による3メートルの高潮被害で、問題が表面化しました。防潮堤は1954年に完成し、1957年からは工業用水道の建設によって地下水の利用が制限されます。沈下は1970年前後まで続き、以降は臨海の埋立地の一部を除いてほぼ沈静化しました。ただし沈んだ地面は戻らないため、低い土地は低いままです。防潮堤の内側と外側では、普段でも約1メートルの水位差があるとされています。
同じ尼崎市内でも、地区によって街の様子は違いますか。
かなり違います。行政上は中央(旧尼崎町・阪神尼崎中心)、小田(JR尼崎中心・工業/物流)、大庄(南西部・工業)、立花(北中部・市役所所在)、武庫(北西部・武庫之荘の住宅地)、園田(北東部)の6地区に分かれています。地理的には、阪神本線が市南部、JR東海道本線が中央部、阪急神戸線・伊丹線が北部を東西に走り、この三本の線に沿って街の性格が層をなしています。南部は工業とともに積み重なってきた高密度の街で、道が細く敷地が小さい傾向があります。北部は住宅地として整えられてきた区域で、区画が整っています。地盤条件も、まとまった土地が出てくる可能性も、南北で異なります。
尼崎市には、空き家や住宅についての市の支援がありますか。
あります。市は子育て世帯の定住・転入に向けた住宅施策として、3年間で6億円の枠組みを公表しています。内容は、①住宅取得支援(兵庫県と連携した県外からの賃貸住替え支援、良質な戸建取得支援)、②一定規模以上の土地利用時の良質住宅誘導協議、③市営住宅への子育て世帯の入居促進、④市営住宅建替えで生じた余剰地の活用、⑤空き家対策、の5本立てです。空き家対策自体は「増加抑制」「利活用促進」「除却支援」の三方向で整理されており、具体的には相談窓口、相続登記への専門家活用、建物状況調査、戸建の賃貸化支援、空き家バンク、若年・新婚世帯向けのリノベーション補助、老朽借家・無接道敷地の除却補助などが用意されています。無接道敷地とは、建築基準法上の道路に接していない土地で、原則として建て替えができない敷地のことです。
この記事で参照した資料
- 神戸新聞|尼崎市が6年ぶりの人口増、転入超過は58年ぶりの3,000人台
- 総務省|住民基本台帳人口移動報告 2025年(令和7年)結果の概要
- 尼崎市|交通案内
- 尼崎市立歴史博物館 あまがさきアーカイブズ|地盤沈下
- 神戸新聞|尼ロック(尼崎閘門)
- 日本経済新聞|パナソニックPDP尼崎第3工場跡の物流施設転用
- 尼崎市|犯罪の発生状況
- 尼崎市|シティプロモーション「あまらぶ大作戦」成果指標
- 阪急阪神不動産|尼崎市中央公園のリニューアルについて
- 尼崎市|阪神尼崎駅前・中央公園のリニューアル
- 神戸新聞|尼崎市2026年度当初予算案
- 尼崎市|小学校の学校給食費
- あまがさき経済新聞|あまがさき・ひと咲きプラザ
- 大学ジャーナル|園田学園女子大学が園田学園大学に校名変更、順次共学化
- 尼崎市|臨海部のまちづくり・尼崎の森中央緑地
- 尼崎市|子育て世帯の定住・転入に向けた住宅施策
- 尼崎市|空き家対策
- 尼崎城|尼崎城の歴史
※本記事は上記の公表資料および報道に基づいて構成しています。裏付けの確認できなかった事項については、あえて記載していません。
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