東灘区はなぜ、同じ区なのに価格が2倍変わるのか――六甲の石と水がつくった「山手と浜手」の話

神戸市東灘区で家やマンションの売却を考えはじめると、多くの人がまず「東灘区 相場」と検索します。ところが出てくる数字は、サイトによって、記事によって、ずいぶん違う。ある記事では㎡単価30万円台、別の記事では50万円台。どちらも嘘ではありません。
理由はシンプルで、東灘区は「ひとつの相場」で語れる区ではないからです。南北わずか数kmの間に、成り立ちのまったく違う住宅地が四層に重なっている。それが東灘区という街の正体です。このコラムは、その四層がどうやってできたのかを、六甲山の岩と水にまでさかのぼってたどってみるものです。売り方のノウハウの話は出てきません。ただ読み終えるころには、自分の家が東灘区のどのあたりに立っているのか、その輪郭が今よりはっきり見えているはずです。
「東灘区の相場は◯万円」という言い方が、いちばん誤解を生む
まず、実際の数字を見てみましょう。下のグラフは、国土交通省「不動産情報ライブラリ」の直近1年(2025年4月〜2026年3月)の成約・取引データをもとに、当社が東灘区内の中古マンションの㎡単価(中央値)を駅別に集計したものです。

いちばん高い摂津本山が56万円/㎡、いちばん低い青木が28万円/㎡。ちょうど2倍です。同じ区の中で、電車なら数分の距離で、これだけ開く。
ただし、この数字の読み方には注意が必要です。駅別の中央値は「その駅の格」を表しているわけではありません。あくまでその駅の周辺でこの1年に売れた物件の顔ぶれを映した数字です。たとえば摂津本山と岡本は歩いて行き来できる距離ですが、グラフでは56万円と31万円で大きく離れています。これは街の価値が2倍違うのではなく、その期間に成約した物件の築年・広さ・規模の構成が違うからです。
つまり「東灘区の相場」も「◯◯駅の相場」も、そのままでは自分の家の値段になりません。にもかかわらず、なぜこれほど大きな差が生まれるのか。その答えは、街の成り立ちの中にあります。
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すべては、六甲山が「崩れやすい山」だったことから始まった
東灘区の北にそびえる六甲山地は、花崗岩でできています。花崗岩は硬い石ですが、風化するとぼろぼろと砂状に崩れる性質があります。しかも六甲山地は急峻で、川の勾配がきつい。崩れた土砂は雨のたびに一気に下流へ運ばれ、山の出口に扇形に堆積していきました。これが扇状地です。東灘区の住宅地の多く、とくに山手から中腹にかけては、この扇状地の上に乗っています。

この地形は、街にいくつもの贈り物をしました。ひとつは石です。「御影石」という言葉は、いまでは花崗岩全般を指す一般名詞になっていますが、もとをたどれば東灘区の御影に由来します。兵庫県立人と自然の博物館の研究資料によれば、かつての御影村の周辺には土石流によって運ばれた花崗岩の岩塊が無数に散らばっており、それを地元の石工が加工して港から各地へ積み出していたことから「御影石」と呼ばれるようになったと考えられています。つまり、山が崩れやすかったからこそ、加工しやすい石が手元にあった。地名が石材の名前になるという、なかなかない出来事です。

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もうひとつの贈り物が水、正確には「勢いのある水」です。六甲から流れ下る住吉川や石屋川は、短い距離で一気に高低差を稼ぐ急流です。江戸時代の灘の酒造家たちは、この急流に水車を並べ、酒米を大量に、しかも高い精白度で搗くことに成功しました。神戸市が公開している灘の酒造業に関する資料によれば、この水車精米こそが、米1石に対して水1石を使う「十水(とみず)仕込み」を可能にし、灘を日本一の酒どころへ押し上げた原動力でした。
そこに二つの追い風が重なります。ひとつは1730年(享保15年)に登場した樽廻船。酒専用の高速輸送船で、腐りやすい酒を鮮度を保ったまま江戸へ運べるようになりました。もうひとつが1840年(天保11年)、魚崎村の山邑太郎左衛門が西宮で「宮水」を発見したこと。酒造に最適な水として灘中の蔵に供給されるようになります。文化庁の日本遺産「伊丹諸白と灘の生一本」によれば、江戸時代末には年間100万樽、江戸で飲まれる酒の8割を、灘をはじめとする「下り酒」が占めたとされます。
灘五郷のうち、魚崎郷と御影郷は、いまの東灘区にあたります。つまり東灘区の浜手は、住宅地になるずっと前から、日本有数の産業地帯でした。いま魚崎や御影塚町を歩くと、住宅とマンションの合間に黒い板塀の酒蔵や工場が現れます。あれは景観としてそこにあるのではなく、街の側が後からその周りに広がっていった結果です。

「日本一の富豪村」が、山手の格をつくった
浜手が産業でにぎわう一方、山手には別の力が働きます。1905年(明治38年)に阪神電気鉄道が、1920年(大正9年)には阪神急行電鉄(現在の阪急)が開業。大阪の都心が工業化で煤煙に覆われる中、財を成した実業家たちが、空気がきれいで水はけがよく、眺望のきく六甲南麓へこぞって移り住みました。のちに「阪神間モダニズム」と呼ばれる文化圏です。
その中心のひとつが、いまの東灘区にあった住吉村でした。1889年から1950年まで存在したこの村には、久原房之助(久原財閥)、村山龍平(朝日新聞創業者)、武田長兵衛(武田薬品工業)、住友家15代当主・住友友純といった名前が並び、作家の谷崎潤一郎も暮らしました。あまりの資産の集中ぶりから「日本一の富豪村」と呼ばれたと伝えられています。1919年には甲南学園(旧制甲南中学校)が第一回入学式を迎え、教育環境も村の内側から整えられていきました。
ここは押さえておく価値があります。東灘区の山手が高いのは、単に眺めがいいからではありません。100年以上かけて「そういう街」として意図的につくられ、住む人が入れ替わりながらもその性格を保ってきたからです。街の格というのは、一世代では動かないものです。

川の下をくぐった鉄道──「天井川」が教えてくれること
ここでもう一度、地形の話に戻ります。東灘区を南北に流れる住吉川や石屋川は、天井川です。天井川とは、運ばれてきた土砂が川底に積もり続けた結果、川床が周囲の地面より高くなってしまった川のこと。堤防の上を水が流れているような状態です。
この地形は、鉄道に思わぬ課題を突きつけました。1874年(明治7年)に大阪〜神戸間の鉄道を通すとき、当時の蒸気機関車は勾配に弱く、天井川を越えて登り降りすることができなかったのです。そこで選ばれたのが「川の下をくぐる」という解決策でした。石屋川の真下に掘られたトンネルは1871年(明治4年)7月に竣工し、日本で最初の鉄道トンネルとなりました。その後、複線化・複々線化に伴って1919年(大正8年)にトンネル自体は解体され、川のほうを水路橋に架け替える形に変わります。
日本の鉄道トンネル第一号が、東京でも横浜でもなく東灘区にある。その理由が「川底のほうが地面より高かったから」だというのは、この街の地形の性格をこれ以上なく物語っています。
1938年、扇状地が本性を見せた日
扇状地は住み心地のよい土地です。水はけがよく、地盤も比較的しっかりしている。ただしそれは、土砂が繰り返し運ばれてきた場所である、ということと表裏一体です。
1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、阪神間を記録的な豪雨が襲いました。神戸の総雨量は461.8mm、5日には1時間に60.8mmを記録。六甲山系の各所で斜面が崩壊し、土石流が市街地へ流れ下りました。神戸市の記録によれば、死者616名、倒壊・流失した家屋3,623戸、半壊6,440戸、床上浸水22,940戸。阪神大水害です。この災害をきっかけに、六甲山系では本格的な砂防事業と河川改修が進められ、いまの街の安全はその上に成り立っています。
いま不動産を売るときに、この歴史は決して他人事ではありません。買い手は購入を検討する段階で、ほぼ必ずハザードマップを開くからです。山手の一部が土砂災害警戒区域に、浜手の一部が浸水想定区域に含まれているのは、この地形の必然です。大事なのは「色がついているかどうか」ではなく、なぜその色なのか、そしてその後どんな対策がとられてきたのかを説明できるかどうか。ここで差がつきます。
1995年1月17日が、いまの「築年数の山」をつくった
そして1995年1月17日。阪神・淡路大震災で、東灘区は神戸市9区の中で最も多くの命が失われた区となりました。神戸市の記録では死者1,470人。住家の全壊は13,687棟で、これは長田区に次ぐ規模です。
この事実は、いまの東灘区の不動産市場に、かなり具体的な形で残っています。震災後の数年間、区内では住宅の建替えが一斉に進みました。その結果、1996年〜2000年ごろに完成した住宅が、東灘区には分厚い層として存在しているのです。それがいま、築25年から30年を迎えています。

築25〜30年という年数は、住宅にとって一つの節目です。マンションなら大規模修繕を二度経験し、長期修繕計画と積立金残高の実力が問われる時期。戸建なら設備の更新と、そろそろ次の世代への引き継ぎを考える時期。同じ世代の住宅が同じタイミングで市場に出てくるということは、買い手にとっては選択肢が増え、売り手にとっては比較される相手が多いということでもあります。震災から30年という時間が、いま静かに市場の形を決めています。
六甲アイランドという「四番目の東灘区」
ここまで山手・中腹・浜手と見てきましたが、東灘区にはもう一つ、性格のまったく違う層があります。1972年(昭和47年)に造成が着工し、1988年(昭和63年)にまちびらきした人工島、六甲アイランドです。総面積は約595ha。1990年(平成2年)には六甲ライナーが開業し、住吉駅でJRと、魚崎駅で阪神と接続しました。
島の性格は、陸側の東灘区とはかなり異なります。街区が計画的に設計され、大規模マンションが中心で、外国人学校や商業施設が集まる。1995年の震災では液状化現象が発生しましたが、ビルやマンションなど大型建築の倒壊はなく、島内の建築物の被害は比較的少なかったと記録されています。

不動産の目線で見ると、六甲アイランドはほぼ独立した一つの市場です。島内の物件を検討する人は、陸側の物件とではなく、島内の他の物件と比べます。逆に言えば、島の外の相場感をそのまま持ち込んでも当たりません。前掲のグラフで六甲アイランドを別枠の色にしたのは、そのためです。
買い手は、東灘区の家を「四つの座標」で見ている
ここまでの話を、売却を考える側の実務に翻訳すると、こうなります。買い手が東灘区の物件を見るとき、頭の中では次の四つの軸が同時に動いています。

①高さ──山手か中腹か浜手か。眺望と静けさをとるか、坂のない生活動線をとるか。この選好は買い手の年齢や家族構成でほぼ決まります。同じ物件が、ある人には「最高の立地」で、別の人には「毎日が登山」になる。
②沿線──阪急・JR・阪神・六甲ライナーのどれが使えるか。三宮や大阪への所要時間だけでなく、沿線ごとに集まる検討者の層が違います。最寄り駅が二つある物件は、それだけで両方の層から見てもらえます。
③築年──1981年6月の新耐震基準以降か、2000年の住宅品質確保法以降か、そして東灘区特有の「震災後の建替え世代」かどうか。
④土地の履歴──扇状地なのか、旧河道なのか、埋立地なのか。ここまで読んでいただいた方には、この四つ目がなぜ効いてくるかが、もうお分かりだと思います。
「東灘区の相場」ではなく、「あなたの家の座標」を知る
最初のグラフに戻ります。摂津本山56万円、青木28万円。この2倍の差は、駅の優劣ではありません。六甲山が崩れやすかったこと、その土砂が扇状地をつくったこと、急流が酒と石を生んだこと、大阪の実業家が山手に移り住んだこと、水害と震災が街を作り替えたこと──その全部が積み重なった結果として、いまの価格の並びがあります。
だから「東灘区の相場はいくらですか」という問いに、正確に答えられる人はいません。答えられるのは、「あなたの家の四つの座標では、この1年こういう価格で決まっています」というところまでです。逆に言えば、そこまでは調べればはっきり分かる、ということでもあります。自分の家がどの層に立っているのかを知ることは、売るか売らないかを決める前の、いちばん最初の一歩だと思います。
よくある質問
Q. 東灘区では、山手と浜手のどちらが高く売れますか?
土地の単価で見れば、一般に山手のほうが高い水準にあります。ただし「高く売れる」かどうかは別の話です。山手の戸建は敷地が広く総額が大きくなるため、買える人の数は限られます。一方、浜手や中腹のマンションは平坦で駅に近く、検討者の母数が多い。単価の高さと売りやすさは、必ずしも一致しません。ご自身の物件がどちらのタイプかで、取るべき戦略が変わります。
Q. 六甲アイランドのマンションは売りにくいのでしょうか?
そのようなことはありません。実際、当社が集計した直近1年のデータでも、六甲アイランドは区内で最も成約件数の多いエリアの一つで、㎡単価の中央値も区の平均的な水準にあります。ただし前述のとおり、島内は独立した市場です。比較されるのは陸側の物件ではなく島内の他の物件なので、同じ島の中でどう見えるかが価格を左右します。
Q. 築25〜30年(震災後の建替え世代)は不利になりますか?
築年数だけで不利になることはありません。この世代は新耐震基準を満たしており、買い手が住宅ローン控除などを検討する際にも大きな支障は生じにくい年代です。ただし同じ世代の住宅が同時期に市場へ出てきやすいのは事実なので、管理状態・修繕履歴・設備更新の記録といった「同世代との違い」を示せる材料が、そのまま価格差になります。
Q. ハザードマップに色がついていると、売却で不利になりますか?
色がついていること自体より、説明できないことのほうが不利に働きます。土砂災害警戒区域や浸水想定区域については、重要事項説明で買主に伝えることが定められています。事前に区域の指定内容と、その後の砂防・河川改修の経緯を整理しておけば、買い手の不安は具体的な情報に置き換わります。隠して後から発覚するのが、いちばん避けたい展開です。
あわせて読みたい
灘五郷や六甲の地形の話は、隣の区の成り立ちとも地続きです。東灘区の駅別・町名別の相場データは神戸市東灘区の不動産売却ページにまとめています。
参考にした資料
神戸市「東灘区の歴史」/神戸市「1938年(昭和13年)阪神大水害」/神戸市「阪神・淡路大震災被害の状況」/神戸市「生産量日本一の灘の酒のルーツ」/文化庁 日本遺産ポータルサイト「伊丹諸白と灘の生一本」/兵庫県立人と自然の博物館「なぜ花崗岩のことを御影石というのか」(先山徹)/兵庫県「阪神間モダニズム再発信プロジェクト」/神戸市「六甲ライナーについて」ほか。
本文中の相場データは、国土交通省「不動産情報ライブラリ」に公開されている直近1年(2025年4月〜2026年3月)の成約・取引データをもとに当社が集計したものです。中央値であり、個別の物件価格を保証するものではありません。
私たちEstate&Co.は、神戸・兵庫で売却に特化した不動産会社です。東灘区の駅別・町名別のデータもまとめていますので、この記事の中で気になった点があれば、お気軽にお尋ねください。
あわせて読みたい:【2026年版】東灘区のマンション売却相場はいくら?成約571件を駅別・築年別に徹底分析
この記事の数字の出典について(2026年9月21日 追記)
この記事の件数・価格は、国土交通省「不動産情報ライブラリ」の成約価格情報(宅地建物取引業者が登録した成約)と不動産取引価格情報(取引当事者へのアンケートに基づく実取引価格)を合わせて集計したものです。本文で「成約」と表記している箇所も、この2種類を合わせた取引を指します。
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