六甲道はなぜ「新しい街」なのか――震災復興再開発、30年の物語

JR六甲道駅の周りを歩くと、不思議なことに気づきます。駅の南側だけ、道が広く、公園が大きく、建物が整然と新しいのです。一本路地を入れば昔ながらの住宅街が広がる灘区の中で、ここだけ空気が違う。
その理由は、30年前のあの日にあります。今回は、前回の「灘区の歴史」に続いて、六甲道という街が震災からどうやって立ち上がり、「灘区でいちばん新しい街」になったのかをたどります。
1995年1月17日――駅も、街も、倒れた

阪神・淡路大震災で、灘区は最大震度7の激震地となりました。神戸市の記録によれば、灘区の人的被害は934人、避難者は最大で4万人を超えています。
1934年の開業以来、灘区の生活の中心だったJR六甲道駅は、ホームを支える高架ごと崩落。駅の南側に広がっていた市街地は、古い木造住宅が密集していたこともあり、地区の建物の約8割が全壊または半壊という壊滅的な被害を受けました。
駅の復旧だけなら、話は74日で終わります。崩れた高架をジャッキで持ち上げるという工法で、「最低2年」と言われた六甲道駅が同年4月1日に復旧した話は、前回の記事でも紹介したとおりです。しかし、街そのものを立て直す仕事は、そこからが本番でした。
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「スピード」を選んだ再開発――第二種という決断
震災の翌月、1995年2月には早くも「六甲道駅南地区震災復興第二種市街地再開発事業」が動き出します。
「第二種」という言葉に耳慣れない方も多いと思いますが、これは再開発の進め方の種類です。地権者の組合が主体となってじっくり合意形成を進める「第一種」に対し、第二種は行政(この場合は神戸市)がいったん土地を取得して事業を進める、スピード重視の手法。被災した住民の生活再建を一日でも早く進めるため、公共性の高い緊急事業として位置づけられました。
もちろん、住み慣れた土地の権利を一度手放すことになる住民との間には、粘り強い話し合いが重ねられました。事業が完了したのは2005年7月。震災から10年半という歳月は、駅の復旧の「74日」とは対照的に、街の再建がいかに時間のかかる仕事かを物語っています。
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10秒LINE査定 → 今いくら?がすぐわかる2000年、六甲道は「副都心」になった
再開発の途中、2000年2月に神戸市が決定した「六甲道駅南地区地区計画」には、この街の設計思想がはっきり書かれています。対象は駅南の約7.2ヘクタール(深田町・備後町・桜口町・友田町の各一部)。そこには、こうあります。
「多様な世代の人々が安心して暮らせる快適な住宅の供給」「副都心にふさわしい商業・業務・公共公益機能の充実」「災害時に機能する防災拠点の構築」――。
つまり六甲道は、単に元に戻すのではなく、三宮に次ぐ「副都心」として計画的に作り直されたのです。その中核が、防災公園として整備された六甲道南公園。地下には100トンの耐震性貯水槽を備え、ふだんは子どもたちが遊ぶ芝生の広場が、災害時には避難とライフラインの拠点に変わります。
2005年完成――「ウェルブ六甲道」という新しい街並み

再開発で生まれた街区群が「ウェルブ六甲道」です。低層階に店舗や公共施設、上層階に住宅という構成のビル群が公園を囲むように並び、住む・買う・憩うが徒歩数分に収まる駅前が完成しました。
震災前の六甲道駅南は、下町の商店と木造住宅の入り混じる、良くも悪くも「昭和の駅前」でした。それが今では、灘区でもっとも計画的に設計された街並みです。皮肉なことに、と言うべきか、必然と言うべきか――最も深く傷ついた場所が、いちばん新しい街になったのです。
そして現在――六甲道から続く「動く歴史」

復旧から30年あまり。六甲道はいま、JR・阪急・阪神の3線が使える灘区の生活の中心として定着しています。そして灘区の「街が変わる歴史」は、六甲道で終わりではありません。
2016年には隣にJR摩耶駅が開業し、周辺に新しいマンション街が生まれました。2029年頃には王子公園に関西学院大学の新キャンパスが開設予定で、王子動物園の再整備も計画されています。震災復興で生まれ変わった六甲道を起点に、灘区の東西で「次の街づくり」が続いているのです。

おわりに――「新しさ」には理由がある
六甲道の駅前が新しいのは、偶然ではありません。934人の犠牲と、8割の建物を失った街が、10年半かけて選び取った姿です。広い道路も、大きな公園も、地下の貯水槽も、すべて「二度と同じ思いをしないため」の設計です。
駅前の芝生で遊ぶ子どもたちを見ていると、この公園が持つもうひとつの顔を思い出すことは少ないかもしれません。でも、それこそが復興の完成形なのだと思います。日常が、何気なく続いていくこと。
灘区の街歩きの際は、六甲道南公園にも立ち寄ってみてください。震災と復興の記憶を伝えるモニュメントが、いまも静かに街を見守っています。
関連記事:【2026年版】灘区のマンション売却相場はいくら?駅別データと高く売るコツ――本記事で紹介した街の成り立ちが、今の相場にどう表れているかをデータでまとめています。
※本記事の事実関係は、内閣府防災情報「六甲道駅南地区震災復興第二種市街地再開発事業」資料、神戸市「六甲道駅南地区地区計画」、神戸市「阪神・淡路大震災 1.17の記録」、神戸新聞等の公開資料に基づいています。震災写真は神戸市提供(CC BY 2.1 JP)です。
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