垂水区の歴史をたどる――海峡を見張った194メートルの古墳から、兵庫でいちばん古いニュータウンまで

神戸市垂水区を一言で説明するのは、意外に難しいところがあります。明石海峡大橋の足元、と言えば伝わりますが、それは区の西端の話です。塩屋の斜面に外国人住宅が並ぶ街でもあり、昭和三十年代に造られた巨大な団地群を抱える街でもあり、そして日本の古代史に関わる194メートルの前方後円墳が海を見下ろしている街でもあります。
この記事では、垂水区がどうやって今のかたちになったのかを、古墳時代から2025年の統計までひと続きにたどります。不動産の視点でいえば、垂水区は「同じ区の中で、築50年前後の団地と新築戸建が同時に売買されている」きわめて層の厚い市場です。なぜそうなったのかは、歴史を見ればはっきりします。

194メートルの古墳が、明石海峡を見下ろしている
垂水区の話は、ここから始めるのが筋だと思います。五色塚古墳。全長194メートル、兵庫県下で最大の前方後円墳です(神戸市)。
規模を数字で並べると、後円部の直径125.5メートル・高さ18.8メートル、前方部の幅82.4メートル・高さ13メートル。三段に築かれ、斜面を覆う葺石は総数223万個、総重量2,784トンにのぼります。しかもこのうち中段と上段の石は、海を渡って淡路島から運ばれてきたものです。埴輪は約2,200本が並べられていました。
築造は4世紀後半、古墳時代前期とされます。1600年以上前に、対岸から223万個の石を船で運んで積み上げた。それだけの労力を割いてこの場所に墓を築いた理由が、垂水区という土地の性格を最初に決めています。

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なぜ、ここに兵庫県最大の古墳が築かれたのか
五色塚古墳は、明石海峡を見下ろす高台に立っています。神戸市の解説では、被葬者は海上交通に関わる有力者と推定されています。
明石海峡は、瀬戸内海と大阪湾をつなぐ幅わずか4キロメートルほどの狭い水路です。西から都に向かう船も、都から西国へ向かう船も、必ずここを通ります。潮の流れが速く、通航のためには地元の知識が要る場所でもありました。
つまり垂水は、古代において「通行を見張ることができる場所」だったのです。海峡を扼する高台に巨大な墓を築くという行為には、そこを支配していることを海上から見せつける意味があったと考えられています。
この「海峡に面した高台」という地形は、その後も一貫して垂水区の価値を決め続けます。別荘地としての塩屋も、舞子の景勝も、明石海峡大橋も、そして現在の住宅地の眺望も、すべて同じ地形の上に成り立っています。
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10秒LINE査定 → 今いくら?がすぐわかる1965年から10年――国内で初めて「築造当時の姿」に戻された古墳
五色塚古墳には、もうひとつ日本の文化財史上の意味があります。
1921年(大正10年)3月3日に国の史跡に指定されたあと、1965年(昭和40年)から10年をかけて発掘調査と復元整備が行われ、1975年(昭和50年)に完成・開園しました。神戸市によれば、これは国内で初めて、古墳時代の築造当時の姿に復元整備された古墳です。
いま五色塚古墳に登ると、草に覆われた丘ではなく、白い葺石に覆われた三段の墳丘の上に埴輪が並ぶ姿を見ることができます。日本の古墳のイメージとして多くの人が思い浮かべる「あの姿」は、実は垂水区で最初に再現されたものだということになります。
復元整備から50年を迎えた2025年8月8日には記念事業が行われ、翌2026年4月18日にはガイダンス施設「五色塚古墳館」が開館しています。区のシンボルとしての位置づけは、いまも更新され続けています。
「たるみ」という地名と、海に向かって開いた土地
垂水という地名は、古語で滝や崖から落ちる水を指す「たるみ」に由来するという説が知られています。実際に区内を歩くと、六甲山地の西端から明石海峡に向かって、いくつもの短い川が急な傾斜を落ちていくのが分かります。
この地形は住宅地としての垂水区を強く規定しました。海岸沿いの平地は細く、少し内陸に入るとすぐに斜面になります。そのため区内の住宅地の多くは高台や斜面に造成されており、「海が見える」という価値と「高低差がある」という条件が、同じ物件に同居していることが珍しくありません。売却の際にこの両面をどう扱うかは、垂水区特有の実務論点です。
なお垂水駅のすぐ近くには、古くから海の神を祀る海神社があります。海に依存し、海に守られてきた土地であることが、地名にも社にも残っています。
1888年11月、山陽鉄道が通った日
近代の垂水を動かしたのは鉄道です。神戸市の区史によれば、1888年(明治21年)11月に山陽鉄道(現在のJR西日本)の兵庫〜明石間が開通し、垂水駅が設置されました。翌1889年(明治22年)4月には市制・町村制の施行により明石郡垂水村が誕生しています。
その後、1913年(大正2年)から1917年(大正6年)にかけて、現在の山陽電鉄が一ノ谷〜塩屋間、塩屋〜明石間と順次開通します。さらに1925年(大正14年)に着工した神明国道(現在の国道2号)が1933年(昭和8年)に完成しました。
三十年ほどのあいだに、鉄道二本と幹線道路一本が海沿いを東西に貫いたことになります。この「海沿いに交通が集中し、そこから山側へ登っていく」という骨格が、いまの垂水区の街の並び方そのものです。

別荘地としての塩屋と舞子――海を見る家の系譜
交通が通ると、まず建ったのは通勤者の家ではなく、別荘でした。
舞子は古くから松林と白砂の景勝地として知られ、明治から大正にかけて要人の別邸が置かれています。なかでも有名なのが移情閣です。神戸で活躍した華僑の実業家・呉錦堂が舞子に構えた別荘の一部で、八角三階建ての楼閣が海に面して立っています。2001年(平成13年)11月14日に国の重要文化財に指定され、現在は孫文記念館として公開されています。孫文が神戸を訪れた歴史とあわせて、垂水区が国際的な人の流れの中にあったことを示す建物です。
塩屋の斜面には、いまも「神戸ジェームス山外国人特別居住区」と呼ばれる一帯があります。海を見下ろす傾斜地に洋風住宅が点在する景観は、垂水区の中でも独特です。
ここで押さえておきたいのは、垂水区の高台住宅地の原型が「眺望を買う家」だったということです。通勤利便で選ばれる街より先に、景色で選ばれる街としての歴史があった。この系譜は現在の市場にも残っていて、駅からの距離だけでは説明のつかない価格が付く物件が区内にはあります。
1941年7月、垂水町は神戸市になった
行政上の転機は戦時中に訪れます。1941年(昭和16年)7月、明石郡垂水町が神戸市に合併され、須磨区に編入されました(神戸市)。
もともと垂水は明石郡です。神戸の街ではなく、明石側の町でした。それが神戸市に組み込まれ、しかも最初は独立した区ではなく須磨区の一部として扱われた。現在も垂水区が「神戸だが明石も近い」という二面性を持つのは、この出自によるところが大きいと言えます。
実際、当社が集計した直近の成約データでも、垂水区の物件で最寄駅が朝霧駅(明石市)となるものが相当数あります。生活圏として明石と地続きであることは、売却時の買主想定にも影響します。
1946年11月1日、垂水区が生まれる
終戦の翌年、1946年(昭和21年)11月に須磨区から分立して垂水区が新設され、神戸市は7区体制になりました。さらに1947年(昭和22年)3月には7つの村が垂水区に編入されています。区制70周年を迎えたのは2016年(平成28年)11月でした。
ちなみに1977年(昭和52年)6月6日には、旧垂水町の北東部が須磨区に編入されるという逆方向の区域変更も行われています。垂水区と須磨区の境界は、歴史的に何度か動いてきました。

1964年、兵庫でいちばん古いニュータウンができた
垂水区の住宅地としての性格を決定づけたのが、団地の時代です。
その代表が明舞団地です。兵庫県と兵庫県住宅供給公社によって開発され、まちびらきは1964年(昭和39年)。面積は約197ヘクタール、南北約3キロメートル・東西約1キロメートルにおよび、神戸市垂水区の狩口台・南多聞台・神陵台と、明石市の松が丘にまたがっています。神戸都心からは約15キロメートルの距離です。
規模も大きく、2016年調査時点で11,219戸。2015年国勢調査時点で人口20,513人・10,086世帯が暮らしていました。兵庫県で最も古い大規模ニュータウンのひとつとして知られ、現在は県・市・住民・NPOが連携した再生の取り組みが進んでいます。
神戸市の区史によれば、1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)にかけて鉄道の高架が完成し、多聞台団地・明舞団地の入居が始まりました。1974年から1975年には下水処理場の稼働と五色塚古墳の復元完成が重なります。垂水区の骨格は、この十年ほどでほぼ固まったと言っていいと思います。
そして、この事実が現在の相場に直結します。当社の集計では、朝霧駅を最寄りとする中古マンションの成約㎡単価の中央値は6.9万円/㎡(45件)で、総額の中央値は450万円台。神陵台・狩口台・南多聞台といった明舞団地エリアの築50年前後のストックが、この価格帯を形づくっています。一方で同じ垂水区の学園都市駅圏では27.1万円/㎡。㎡単価で約4倍の開きがある区は、神戸市内でも垂水区が突出しています。
1998年4月5日、世界最長の吊橋が架かった
そして垂水区の風景を決定的に変えたのが、明石海峡大橋です。
1988年(昭和63年)5月に着工し、1998年(平成10年)4月に開通。全長3,911メートル、中央支間長1,991メートル、主塔の高さは海面上およそ300メートル。開通当時、世界最長の吊橋でした(本州四国連絡高速道路)。
この橋には、垂水区に住む人にとって忘れがたい経緯があります。1995年1月17日の阪神・淡路大震災が起きたとき、明石海峡大橋は両方の主塔が立ち上がり、メインケーブルを架けている最中でした。地震で橋そのものに深刻な構造損傷はなかったものの、基礎が載っている地盤そのものが動いたため、主塔と主塔の間の距離が変わってしまったのです。結果として、まだ製作していなかった桁の長さを調整することで対応し、工事のやり直しは不要でした。
震災で長さが変わった橋が、そのまま完成して世界最長になった。垂水区の海岸から見えるあの橋は、そういう橋です。

2025年の数字――垂水区でいま起きていること
現在に話を移します。2025年国勢調査の速報(神戸市による独自集計の概数)によれば、垂水区の人口は206,825人。2020年から8,477人、率にして3.9パーセントの減少です。神戸市全体が1.8パーセント減ですから、垂水区の減り方はその倍以上の速さということになります。
そして、もっと注意して見るべき数字があります。世帯数の伸びです。垂水区の世帯数は98,554世帯で、2020年からの伸びは0.9パーセント。これは神戸市9区のなかで最も低い伸び率です。参考までに、兵庫区は10.1パーセント増、須磨区は7.4パーセント増、中央区は6.8パーセント増。垂水区の0.9パーセントは、明らかに異質です。
人口が減り、世帯もほとんど増えていない。これは「新しく入ってくる世帯が少ない」ことを意味します。ニュータウンとして一斉に入居した街が、そのまま一斉に高齢化していく典型的な経過です。
ところが、不動産市場のほうの数字は逆を向いています。当社が国土交通省の不動産情報ライブラリで集計したところ、垂水区の一戸建ての成約件数は4年前の202件から直近1年の291件へと約44パーセント増加していました。中古マンションも257件から287件へ12パーセント増です。価格のほうは戸建+3.8パーセント、マンションは総額中央値1,400万円で横ばい(㎡単価で+3.7パーセント)と、ほとんど動いていません。
人は減っているのに、取引は増えている。この二つは矛盾しません。世代交代が実際に始まっていて、家が市場に出はじめているということです。垂水区で起きているのは値上がりではなく、流通量の増加です。

垂水区の家は、どの時代の層に属しているか
ここまでの歴史を、住まいの視点でまとめ直します。垂水区の家は、造られた時代によっておおよそ五つの層に分かれます。
①明治〜昭和初期の別荘地層(塩屋・舞子の一部)。眺望と歴史的景観が価値の中心で、駅距離の物差しが効きにくい市場です。
②昭和三十〜四十年代の団地層(明舞団地=神陵台・狩口台・南多聞台、多聞台、高丸など)。築50年前後のストックが厚く、価格帯は数百万円台が中心。区内の成約件数を支えているのはこの層です。
③昭和後期〜平成初期の戸建住宅地層(区内各所の斜面造成地)。土地の広さは確保されている一方、高低差や擁壁の条件が価格に影響します。
④明石海峡大橋前後の駅前再整備層(垂水・舞子周辺)。交通利便と生活利便が価値の中心です。
⑤平成以降の新規開発層(舞多聞など)。区内では最も新しく、新築・築浅の戸建として動いています。
この五つは、価格帯も買主層も、売り方もまったく違います。「垂水区の相場は」という一つの数字で自分の家を判断すると、㎡単価で4倍、総額で数千万円の認識のずれが起きうるのは、そのためです。
大切なのは区の平均ではなく、あなたの家が垂水区のどの層に属していて、その層の買主は誰かということです。駅別・築年別の詳しい相場については、別の記事で数字を分解して解説する予定です。
よくある質問
垂水区はいつ神戸市になったのですか?
1941年(昭和16年)7月に、明石郡垂水町が神戸市に合併され、須磨区に編入されました。その後1946年(昭和21年)11月に須磨区から分立して垂水区が新設され、神戸市は7区体制になっています。もともと神戸ではなく明石郡だったという出自が、現在の「神戸だが明石も近い」という生活圏の二面性につながっています。
五色塚古墳はどれくらい大きいのですか?
全長194メートルで、兵庫県下で最大の前方後円墳です。後円部は直径125.5メートル・高さ18.8メートル、前方部は幅82.4メートル・高さ13メートル。斜面を覆う葺石は223万個・2,784トンで、中段と上段の石は淡路島から運ばれました。4世紀後半の築造で、1921年に国の史跡に指定され、1965年から10年かけて国内で初めて築造当時の姿に復元整備されています。
明舞団地はいつできた団地ですか?
まちびらきは1964年(昭和39年)で、兵庫県と兵庫県住宅供給公社が開発しました。面積は約197ヘクタール、2016年調査時点で11,219戸。神戸市垂水区の狩口台・南多聞台・神陵台と明石市の松が丘にまたがっています。兵庫県で最も古い大規模ニュータウンのひとつで、現在は再生の取り組みが進められています。
垂水区の人口はいまどうなっていますか?
2025年国勢調査の速報(神戸市の独自集計による概数)では206,825人で、2020年から8,477人・3.9パーセントの減少でした。世帯数は98,554世帯で伸びは0.9パーセントにとどまり、これは神戸市9区のなかで最も低い伸び率です。一方で不動産の成約件数は増えており、住宅ストックの世代交代が進んでいることを示しています。
明石海峡大橋はいつ開通しましたか?
1988年5月に着工し、1998年(平成10年)4月に開通しました。全長3,911メートル、中央支間長1,991メートルで、開通当時は世界最長の吊橋でした。1995年の阪神・淡路大震災の際は主塔とケーブルの施工中で、地盤が動いたことにより主塔間の距離が変化しましたが、未製作だった桁の長さを調整することで対応し、工事のやり直しはありませんでした。
この記事は、神戸市垂水区「ミニ区史」、神戸市「国指定史跡 五色塚古墳」、本州四国連絡高速道路、明舞団地に関する公表資料、神戸市「2025年国勢調査(速報)」などの公表資料と、国土交通省 不動産情報ライブラリの成約データをもとに構成しました。相場に関する数値は株式会社Estate&Co.が集計したものです。
神戸市垂水区の売却をお考えの方は神戸市垂水区の不動産売却・査定ページもご覧ください。
この記事の数字の出典について(2026年9月21日 追記)
この記事の件数・価格は、国土交通省「不動産情報ライブラリ」の成約価格情報(宅地建物取引業者が登録した成約)と不動産取引価格情報(取引当事者へのアンケートに基づく実取引価格)を合わせて集計したものです。本文で「成約」と表記している箇所も、この2種類を合わせた取引を指します。
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